駐在準備①
2019.1.25
米国駐在と結婚が決まった人生で忘れられない日になった
グランドハイアットに泊まってシャンパンを飲んで気持ちよく眠ったんだけど次の日もとても晴れてたのを今でも覚えてる。
その日はホテル近くのスタバでアメリカの地球の歩き方やるるぶを開いてどこに行こうとか話したな^^ でもコロナ前だったから当たり前にできてたことなんだと思う。。本当に早く収まって普通の駐在生活が送れるようになってほしいと心から願う。
今日は駐在が決まってからめちゃくちゃ大変だった準備について書けるところまで書こうと思う。僕の場合、駐在だけでなく結婚もあったので本当に大変でストレスかニキビがたくさんできたのを覚えている笑
週明けの月曜日、会社の海外事業部の駐在準備担当者から大量の準備資料がメールで送られてきた。クラウド上で管理しお互いにTo Doリストの進捗を記載していく方式。
あと海外赴任に関する今まで知らなかった規定が山ほどあった。海外手当がどれくらい付くのかな〜と計算しちゃったり笑
やることは大体以下のとおり。
- ビザ申請用の経歴書の作成(学歴、職歴、実務経験、保有資格とかとか)
- 卒業証明書、成績証明書の取り寄せ
- ビザ申請用の証明写真撮影
- ビザ面接練習
- 面接本番
- 健康診断
- 予防接種
- 引越し準備(船便・航空便・国内倉庫に分ける)
- 損害保険、電気・水道・ガス・インターネット解約
- 携帯の一時休止手続き(月400円で電話番号を維持できる。長期駐在なら解約しちゃってもいいかも)
- 国際免許取得
- 保険・クレジットカードとかの住所変更、転送届
- 住民票・マイナンバーカードの海外転出手続き
- ANA USAカードの申し込み(ドル建て
- 渡米日程の確定、航空券・ホテルの予約
- 仕事の引き継ぎ
- 送別会
- 米国で住むアパート候補選び
- カーリースの手続き
ここから下は僕の個別要因的なもの↓
- 英会話(そんなに得意な方じゃなかったので週5で学校とオンラインやって詰め込み)←これが一番ストレスだったかも
- 婚約指輪選び
- 婚姻届提出、入籍
- 両家顔合わせ
- 結婚式場の下見、契約
- 奥さんパスポート再発行
- 奥さんのビザ取得
- 奥さんの健康保険、年金の手続き(ちょうどいい休職制度がなく辞めるしかなかった・・)
- 奥さんの雇用保険の延長手続き(海外赴任は受給期間の延長ができます)
- 確定申告
- 銀行口座のお金の整理(駐在中は円が不足しがち)
改めて書いてみるとめ〜〜〜っちゃあるな笑
これに結婚同時赴任だったから奥さんのビザの申請が間に合うか担当部署や区役所、パスポートセンターなんかに確認したり、奥さんが仕事辞めるか辞めないか確認したりしてたから、ほんとしんどかった・・
海外赴任しそうなときは前もってプロポーズしとくことをオススメします笑
さて、ひとつひとつ振り返ってみましょう。興味がある方はついてきてください🤲
まずはビザから。
これが地味に大変だった。会社からもらう書類に必要事項を記載して、申請手続きをしてもらう法律事務所に提出するんだけど、全部英語だし、学歴は小学校から大学までの卒業年月、学校名、学校住所が必要だし、入社以降の職歴と仕事内容を書かないとだしで、結構時間がかかった。卒業証明書と成績証明書が必要だったから、大学に取り寄せをする必要があったし。
僕の場合、奥さんの分(結局紆余曲折あって別で申請することになったから奥さんの分も別で作成。トホホ)もあったし。
奥さんのビザを同時申請するかどうか確認してる期間が数日あったけど、書類が完成したのは2月半ばだったかな。ビザが落ち着いたらなんかホッと一息つけた思い出。
大使館での面談は3月の頭だったんだけど、先輩で「研修で赴任します」って大使館面談で言ってビザ申請が通らなかった人がいたから、担当部署の人からは絶対言っちゃダメって念入りに確認された。僕もトレーニーだったので。アメリカは自国の人の雇用を優先させたいって思いが強いから、アメリカで働く専門性がない人にビザは出したくないみたい。
もしこれから研修で駐在行かれる方、注意です↑
面談では渡米する目的、持ってる専門性の内容、一人で行くのか、とかを聞かれてあっさり終了。
英語が早くて聞き取れなかったらどうしようと心配してたけど無用だった。
結果は面談から1週間〜10日で来て、パスポートにかっこいいビザが貼られてました。僕はL1ビザとB1ビザの2種類。
ビザの申請が無事に通ってようやく航空券の予約だったりやりましたとさ。
ちょっと疲れてきたので他の項目についてはまた書きま〜す!
お時間あればお付き合いください^^
ではでは
海外駐在が決まった日
2019.1.21
今でもはっきりと覚えてる月曜日の朝一。たしか朝会(毎朝8:20くらいからやってるミーティング)が終わって9時すぎだったかな〜
突如部長に個室に呼ばれた。
「海外勤務に何か支障ある?」
単刀直入にそれだけ。笑
前から海外勤務を希望していた僕は「ありません」と即座に回答。会話はあっさり1分か2分くらいで終わった。
めちゃくちゃドキドキした。そのあと普通に職務にあたってたけど、内心めちゃくちゃドキドキしてた。ついに海外赴任か〜と鼓動が高まったのを今でも覚えている。
当時の僕は18/10に新しい部署に異動して4ヶ月ちょっと。仕事は米国企業を中心に海外企業の発行する社債に投資するために企業のことを調査・分析して投資可否の推奨を行うクレジットアナリストをやっていた。ちなみに今も海外赴任を経て同じ仕事。
うちの会社では5年前くらいから海外企業の社債に投資を行っている。
僕は13/4から18/9までいた前の部署で国内企業の社債や融資の投資判断を行う仕事をしていた。2015年頃かな。海外企業への社債の投資を始めるということでプロジェクトチームが組成され、16年から海外クレジットを専門とするグループが作られた。僕は国内企業の投資判断業務において一応中心的な役割を担っていたし、英語が特別得意なわけでもなかったのでそちらにアサインされることはなかった。国内の仕事を責任を持ってやっていたので、それが悲しいとかの気持ちはなかった。
それから1年が経ち、国内の仕事を一通りやり切って新しいことにチャレンジしたいと思っていたこと、担当していた別の新規投資のプロジェクトに目処が付いてきたことで、海外企業の仕事へのアサインを希望していた。しかしながら、当時の部署における自分の役割、グループの状況から僕が海外グループに移動することは結局なかった。
18/10に異動した部署を海外のクレジット投資を取り扱う部署で希望していた部署だったので、異動が決まったときは本当に嬉しかったが、その2ヶ月後、4つ下の後輩のオランダ駐在が決まる。
うちの会社では海外クレジット投資のノウハウを習得するために、年に2~3名くらいトレーニーとして海外に人材を派遣していた。僕が希望していたのもそのポジション。でも、アサインされたのは後輩だった。
俺は部署の異動(希望してた仕事だけど社内異動。外部機関には出してもらえない)で、後輩は海外か・・・
俺も努力してるし成果も残してきたのにな・・
しかも出向先が当社で初めてとなるオランダで期間も1年(アメリカの子会社へのトレーニーを除いて期間は3ヶ月だった)
その後輩は仕事ができるやつで信頼できるやつだったから、選ばれるのは当然だなと思いつつ、悔しい思いがあったのを覚えている。
そんな状況で自分には海外トレーニーは縁がないと思っていた矢先だったので、部長からの海外赴任の打診は本当に嬉しかった。
ただ、期間が3ヶ月なのか1年なのか、場所はどこなのか、それはまだわからなかった。そのときの僕は1年は長すぎると思ってたので、正直3ヶ月くらいでいいやと思ってた。
正式な発表は4日後の1月25日。その日は当時付き合っていた彼女の誕生日でもあった。
2019.1.25
この日を境に僕の人生は大きく変わっていくことになる。
続きは次回また書きます!